
タイと日本、その「騙し方」の決定的な違い
気がつけば、スマホを開けば詐欺広告。
SNS、動画サイト、ニュースアプリの片隅まで、もう逃げ場がない。
「なぜここまで増えたのか?」と嘆く前に、一度立ち止まって考えてみたい。
詐欺は社会の弱点を映す鏡だという事実を。
同じ詐欺広告でも、タイと日本では顔つきがまったく違う。
どちらが巧妙か、どちらが危険かという話ではない。
騙し方が、その国の“信じているもの”を正確に突いているという話だ。
日本の詐欺は「ちゃんとしている」
日本の詐欺広告は、見た目が実にお行儀がいい。
大手メディア風のレイアウト、専門家の肩書き、有名人の名前、そして「国が」「政府が」「公式が」という魔法の言葉。
内容よりも先に、
「これは疑う方が失礼では?」
という空気を作るのが上手い。
日本社会は、長い時間をかけて
・制度は基本的に正しい
・有名人は責任を持つ
・専門家は嘘をつかない
という前提で動いてきた。
詐欺師はそこに派手に殴り込まない。
信頼という家に、靴を脱いで静かに上がり込む。
だから日本の詐欺は厄介だ。
疑うと、自分がひねくれ者に思えてしまう。
むしろ「ちゃんとした人」ほど引っかかる余地がある。
タイの詐欺は「正直すぎる」
一方、タイの詐欺広告は遠慮がない。
月利30%、短期で成功、人生逆転、豪邸と札束。
欲望と不安に、真正面からストレートパンチを打ってくる。
タイ社会では、
「うまい話は疑って当然」
「話は半分で聞く」
という感覚が、かなり早い段階で身についている。
だから詐欺も隠れない。
派手で、感情的で、どこか演歌調。
騙されたとしても、「まあ自分が甘かったな」で片づけられやすい。
詐欺師も被害者も、ある意味で同じ土俵に立っている。
ここが日本との大きな違いだ。
逆に騙されやすいのは誰か
面白いことに、日本人はタイの詐欺に意外と強い。
「話がうますぎる」「雑すぎる」と感じるからだ。
逆にタイ人は、日本型の詐欺に弱い。
「日本」「専門家」「大手風」というだけで、
「そんな丁寧な嘘をつく意味ある?」と油断する。
詐欺は国境を越えるとき、
相手の文化に合わせて姿を変える。
これは知能の問題ではない。
どこで育ち、何を信じてきたかの問題だ。
詐欺広告はなぜここまで増えたのか
日タイ共通の背景もある。
SNS広告の自動化、審査の形骸化、
「広告は広告主の責任」というプラットフォームの逃げ道。
重要なのは、
詐欺が増えたのではなく、拡散装置が進化したという点だ。
昔は電話や対面だった。
今はアルゴリズムが最適な相手に、最適な嘘を配達する。
詐欺師が進化したというより、
配達員がAIに変わっただけなのである。
最後に、一番危ない思考
詐欺広告が成立する最大の条件は何か。
それは「自分は騙されない」という自信だ。
知識がある人ほど、
経験がある人ほど、
その罠に足を取られる。
必要なのは賢さではない。
疑う習慣だ。
詐欺は今日も、社会の弱点を研究している。
次に進化すべきなのは、こちらの思考のほうかもしれない。
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